
三重県北部に位置する三重県三重郡朝日町は、
東は川越町、北は桑名市、南は四日市市と隣接している、
人口約11,000人、面積約5.99平方kmの、三重県内で面積が最も小さな町です。
町内には東芝の三重工場があり、住民の約半数が東芝関係者である
「東芝の町」と言われています。
近年、人口が急増し、平成25年には人口が1万人を突破。
令和2年の国勢調査では、三重県内の市町別でみると
人口増加数・増加率が1位となり、現在も増加を続けています。
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では三重県で1位に輝いています。
国道1号線沿いには多くの商業施設が立ち並び、
東海道沿いには古い家並みが続きます。
豊かな自然と、歴史と文化を感じることができます。
鉄道は、JR関西本線(朝日駅)、近鉄名古屋線(伊勢朝日駅)
を利用することができます。
JR関西本線で朝日駅から名古屋駅までは、約40分です。
道路は、町内には国道1号線が通っており、
伊勢湾岸自動車道のみえ朝日ICがあるため、車での移動も便利です。
交通の利便性からベッドタウンとしても人気です。
朝日町の歴史
朝日町では、弥生時代の竪穴住居や水田の跡が見つかっており、
飛鳥時代の創建とされる縄生廃寺(なおはいじ)跡もあります。
奈良時代から平安時代にかけては、
伊勢神宮が多くの領地(御厨)を保有していました。
室町時代になると豪族が丘陵に城を構えました。
戦国時代、縄生(なお)城・小向(おぶけ)城・埋縄(うずなわ)城は、
1567年(永禄10年)の織田信長の北勢侵攻の際に、
家臣の滝川一益によって攻められました。
関ヶ原の戦いを経て、桑名に徳川家康の家臣本多忠勝が入ると、
桑名城下の整備が始められ、
現在の朝日町の縄生村・小向村・柿村・埋縄村は、
桑名藩に属しました。
町内を縦断する東海道は重要な交通路として整備が進められました。
1888年(明治21年)、市制・町村制が公布され、
縄生村・小向村・柿村・埋縄村の4村が合併し朝日村となりました。
1894年(明治27年)には関西鉄道の桑名-四日市間が開通し、
伊勢朝日駅が開業。
1929年(昭和4年)に伊勢電鉄(現在の近畿日本鉄道)が開通、
1932年(昭和7年)には東海道に沿って国道1号線が開通します。
1938年(昭和13年)には芝浦製作所三重工場(現在の東芝三重工場)が
誘致され、工業が発展していきます。
1979年(昭和54年)、町制を施行して朝日町となりました。
1983年(昭和58年)、国鉄朝日駅が開業。(1987年(昭和62年)
国鉄分割民営化に伴い、朝日駅を東海旅客鉄道が継承)
東芝三重工場
1937年(昭和12年)頃、(株)芝浦製作所(現 東芝)は
鶴見(横浜市鶴見区)に工場があり、電動機や発電機を
製造していましたが、民需・軍需の注文が急増し、
生産拡大のため三重工場の設立の検討を開始しました。
当初は鋳物工場が多い桑名市への設立が検討されましたが、
土地買収をめぐる問題が起こりました。
そこで、東海道があり、省線(国鉄)や参宮急行電鉄の鉄道が通り、
立地条件に適しており、地元の熱心な誘致運動があったことから、
朝日村への工場の建設が決定しました。
1938年に第一工場が完成し、1938年に小形電動機の製造を開始。
徐々に工場が増設され、職員も増加していきました。
1939年に東京電気(株)が(株)芝浦製作所と合併し、
東京芝浦電気(株)が発足。
三重工場は、東京芝浦電気(株)三重工場に改称しました。
1940年に小形変圧器の製造を開始。
1944年に中形変圧器の製造を開始。
1984年に東京芝浦電気(株)が(株)東芝に商号変更。
1985年、三重工場の電動機生産が累計2,000万台を達成しました。
現在、東芝三重工場では、産業用・車載用モータ、変圧器、
モータコントロールセンタ、汎用インバータ、配電機器などの
生産・開発が行われています。
工場敷地内には、14棟の工場、管理棟、食堂棟などがあります。
縄生廃寺(なおはいじ)跡
縄生廃寺跡は、江戸時代から「金光寺跡」として知られ、
戦前には土取りの際に瓦片が多量に出土したと伝えられています。
昭和61年9月から翌年3月にかけて行われた発掘調査で、
出土した軒丸瓦などから、7世紀末から8世紀初頭(飛鳥時代)に
造営された古代寺院塔跡の存在が確認されています。
この発掘調査では、「舎利容器」(釈迦の遺骨を納める容器)が
発見されました。
当初のまま舎利容器が発見された例は唯一で、貴重な資料として、
平成元年6月12日に国の重要文化財に指定されました。
萬古焼
萬古焼は今では四日市市の地場産業として有名ですが、
もともとは桑名の豪商沼波弄山(ぬなみろうざん)が
1736~1740年頃に小向村に窯を開いたことに始まります。
小向窯の作品には、後世に伝わるように「萬古」「萬古不易」の
印が押され、これが萬古焼の名前の由来です。
更紗を用いた赤絵などが人気を博しましたが、
弄山没後に廃絶しました。今では「古萬古」と呼ばれています。
その後、桑名に生まれた森有節が弟の千秋とともに
1832年に小向村に窯を開き、萬古焼を復興しました。
有節は急須の成形に木型を使用して薄くて軽い急須を量産し、
桜色の釉薬を使うなどの工夫をしました。
今では「復興萬古」と呼ばれており、
後世の桑名萬古や四日市萬古に大きな影響を与えました。
現在の萬古焼は四日市市を中心に生産され、
国の伝統工芸品に指定されています。
朝日町歴史博物館
飛鳥時代の縄生廃寺、江戸時代の国学者橘守部、萬古焼、
明治から昭和にかけて活躍した日本画家の栗田真秀・水谷立仙、
俳人の中村古松など、
朝日町の歴史や文化に関する作品や資料を展示する博物館です。
朝日町資料館
現在の朝日町資料館の建物は、1916年(大正5年)に朝日村役場として建てられました。
木造2階建の寄棟造瓦葺きで、1階には事務関係の部屋が配置され、
2階には議場が設けられていました。
内部の改造も少なく、地方建築の特徴を良く留めている建造物として、
平成12年に国の登録有形文化財に指定されました。
現在は、農耕・養蚕関係の資料など民俗資料を展示しています。
天然温泉あさひの湯
ボウリング場、バッティングセンター、カラオケ等の施設がある
「アソビックスあさひ」の敷地内にある天然温泉。
地下1,700mから湧き出した自慢の天然温泉や、
炭酸ガス効果で血行を促進する炭酸泉風呂、サウナルームや
週替わりでいろいろなお湯を楽しめるイベント湯などがあります。
休憩スペースや食事処、漫画コーナーもあり、
ゆっくり過ごすことができます。
さて、今回は三重県三重郡朝日町をご紹介しました。
自然が豊かで、東芝三重工場をはじめとする工場が多く、
名古屋にもアクセスできる朝日町は、三重県内でも屈指の住みやすい街です。
【参考・引用】
・大東建託 2024年度いい部屋ネット「街の住みここちランキング」
https://x.gd/J6PW1
・広報朝日 2015年11月 朝日町 町史だより
https://x.gd/RmiJe https://x.gd/50KqL
・東芝産業機械システムズ
https://www.toshiba-tips.co.jp/outline/history/index_j.html
・東芝ライテック https://jirei.tlt.co.jp/pdf/178toshi.pdf
・朝日町歴史博物館 https://asahitown-museum.com/about.html
・三重県内の博物館・資料館
https://www.bunka.pref.mie.lg.jp/kennai/kennaiDetail?id=835787
・観光三重
https://www.kankomie.or.jp/media/photo_free/2001
https://www.kankomie.or.jp/spot/1254
・アソビックスあさひ https://asobix-asahi.jp/asahinoyu