
木曽川
愛知県愛西市は、愛知県の西端に位置し、西は木曽川に面しており、
北は稲沢市、東は津島市、南は弥富市に接しています。
江戸時代には東海道の脇往還(迂回路)であった佐屋街道が整備され、
宿場町の佐屋宿が賑わい、代官所も置かれていました。
名古屋鉄道(名鉄)津島線・尾西線が通っています。
また、市の南東部にはJR関西本線が通っており、永和駅があります。
名鉄の佐屋駅から名鉄名古屋駅までは、
名鉄津島線で須ヶ口で乗り換えて30分~40分ほどで行くことができ、
名古屋都心部への通勤もしやすいです。
東名阪自動車の弥富ICにも近く、周辺地域にもアクセスしやすいです。
市内には、愛西プラザ、ヨシヅヤ愛西北テラス、ピアゴ佐屋店、
Yストア愛西勝幡店、マックスバリュ愛西江西店、ハッピーさおり、
ホームセンターバロー勝幡店、おかめや、などのショッピングモールや
スーパーマーケットが点在しており、日常的な買い物も便利です。
今回は愛知県愛西市をご紹介します。
西照寺の3つの仏像
鳳凰山西照寺は598年に開基した1420年余りの歴史があるお寺です。
聖観世音菩薩を御本尊とする真言宗智山派のお寺です。
西照寺には、市指定文化財に指定されている3つの仏像があります。
古くより、旧海部郡市江村には真言宗の遍照院というお寺がありました。
ご本尊の木造薬師如来立像は平安時代前期の作とされます。
織田信長の長島一向一揆の前哨戦により村一帯が焼き討ちに遭い、
遍照院は消失しましたが、ご本尊は地面に埋められて戦火から守られました。
遍照院焼失後、まもなく市江村東條(現在の西照寺の地)にお堂が建てられ、
薬師堂と呼ばれました。木造薬師如来立像も薬師堂に移されました。
また、1915年には、名古屋市西区の医王寺から
木造地蔵菩薩坐像が薬師堂に移されました。
木造地蔵菩薩坐像は室町から江戸時代の作とされています。
また、あま市甚目寺山内にあった西網之坊(にしあみのぼう)というお寺が、
濃尾地震で被災し、昭和の初めに当地に移転し薬師堂と合併しました。
この時、薬師堂は西網之坊の木造聖観世音菩薩を御本尊とし、
昭和17年(1936年)に西照寺と改名されました。
ご本尊の木造聖観音立像は鎌倉時代の作と考えられています。
大野城址
大野城址は、昭和61年に市の文化財に指定されました。
織田信長の死後、羽柴秀吉と織田信雄・徳川家康の間で
1584年に小牧・長久手の戦いが起きました。
それに連動した合戦の一つに、蟹江城合戦(蟹江合戦)があります。
大野城は、1584年に蟹江城の支城として信雄の家臣・佐久間正勝が築城し、
合戦時は正勝の家臣、山口重政が守備につきました。
蟹江城や他の支城が攻略・調略を受けて秀吉方となる中、
山口重政は信雄・家康方として奮戦し、落城を逃れました。
その後、1586年の天正大地震で廃城となったと伝えられています。
勝幡城跡
勝幡城は、愛知県稲沢市から愛西市にまたがる地域にあったとされる城で、
織田信定(信長の祖父)によって築かれました。
城といっても天守閣を持つ城ではなく、
館の周りを土塁や堀などで囲ったものでした。
信長は1534年にこの城で生まれたと言われています。
現在、城跡には石碑や説明板が建てられ、近くの勝幡駅前広場では
推定復元模型や幼少期の信長像が設置されています。
古木江城跡
古木江城は小木江城とも記載されます。
織田信長の4番目の弟・織田彦七郎信興によって築かれたとされます。
元亀元年(1570年)9月、浄土真宗の石山本願寺と信長との間で
石山合戦が始まると、長島でも門徒勢が蜂起して
11月16日には古木江城を襲撃し、
11月21日に古木江城は落城して廃城となり、信興も落命しました。
佐屋街道
佐屋街道(佐屋路)は、寛永3年(1626年)と11年(1634年)の
三代将軍徳川家光の通行を契機に、東海道の脇往還として整備されました。
寛文6年(1666年)には幕府の道中奉行が管理する官道に指定されました。
佐屋街道は、宮宿(熱田)と桑名宿を海上で結ぶ「七里の渡し」の
代替ルートとして盛んに利用されました。
佐屋街道は、宮宿(熱田)から佐屋までは陸路で、
佐屋から桑名までは舟で川を通る「三里の渡し」があり、
佐屋湊が面する佐屋川から木曽川を通って桑名まで行くルートです。
海に出る「七里の渡し」に比べれば、「三里の渡し」は川を通るため、
難破の危険が少なく、船酔いが避けられるメリットがあります。
商用や社寺参りの人々、参勤交代の大名行列、
オランダ商館のシーボルトや、十四代将軍家茂、明治天皇も
この道を通行しました。
明治5年(1872年)に熱田と前ヶ須新田(現弥富町)を結ぶ新道が
開通したことにより、佐屋街道は役目を終え、
現在では地域の幹線道路となっています。
佐屋宿
佐屋宿は佐屋街道に設けられた宿場です。
三代将軍徳川家光が上洛する際には、
道中で宿泊するための御殿が佐屋宿に建てられたことで、
佐屋街道のステータスが上がりました。
佐屋宿には、本陣2軒、脇本陣1軒、脇本陣格1軒が設けられ、
最盛期には旅籠が31軒ほど建ち並びました。
佐屋街道の隆盛に伴い、尾張藩は藩の109村を治める代官所を
佐屋に設けました。
佐屋では街道の治安と、三里の渡しを監督する海の関所のような仕事も
行われていたようです。
現在は、「佐屋代官所址」や「佐屋舟場道」の石碑があり、
江戸時代に旅籠の近江屋があった場所に「きこくの生垣」が残されています。
レンコン栽培
愛西市は木曽川・長良川・揖斐川が運ぶ土砂によって形成された
水郷地帯という土地の特長を生かして、
江戸時代後期からレンコンの栽培が盛んに行われてきました。
今では年間約3,800トンのレンコンを生産しており、
全国でも有数のレンコン生産地となっています。
6月下旬から8月上旬にかけてピンクや白の可憐な蓮の花が一面に咲き誇り、
秋から春頃にかけて収穫の時期を迎えます。
船頭平閘門
船頭平閘門(せんどうひらこうもん)は、明治時代に木曽、長良、揖斐の三川が分流され、
水上交通が盛んであった当時、水面の高さが異なる木曽川と長良川を
船で行き交うことができるように設けられました。
平成6年に改築工事が行われ、現在も現役で稼働しています。
全国にある閘門のうち、現在使用されているものは数少なく、
平成12年に国の重要文化財に指定されています。
木曽川観光船
木曽川・長良川をボランティアガイドの説明を聞きながら
観光船で巡ることができます。
3月中旬から11月上旬にかけて運行され、予約制です。
木曽川に面する葛木港を出港して、「船頭平閘門」を通って
長良川へ出て、そして同じルートを戻ってきます。
ゆったりとした木曽川の流れや野鳥のさえずりなど、
愛西市の自然を心ゆくまで楽しむことができます。
さて、今回は愛西市をご紹介しました。
愛西市は古くから栄えた地域で、戦国時代には戦乱の舞台となりました。
江戸時代には宿場町となって賑わい、今はレンコン畑の平和な風景が広がっています。
名古屋都心部への通勤もしやすく、日常的な買い物も便利な、暮らしやすい街です。
【参考・引用】
・西照寺 https://www.saisyouji-aisai.com
・愛西市 西照寺 https://www.city.aisai.lg.jp/0000012469.html
・愛西市観光協会 西照寺 https://www.aisaikankou.jp/wgs/blog/fp/4/
・愛西市 大野城址 https://www.city.aisai.lg.jp/0000013851.html
・愛知県の公式観光ガイド勝幡城跡
https://www.aichi-now.jp/spots/detail/309/
・ニッポン城めぐり 小木江城 https://cmeg.jp/w/castles/4361
・人力旧街道ウォーキング 佐屋街道
https://www.jinriki.info/kaidolist/sayakaido/
・人力旧街道ウォーキング 佐屋宿 https://x.gd/ZYZuN
・愛西市観光協会 船頭平閘門
https://www.aisaikankou.jp/wgs/blog/fp/13/
・Aichi Now 木曽川観光船
https://aichinow.pref.aichi.jp/spots/detail/1545/